弊社SNS担当者からこんなミチとの出会いにふさわしいチャレンジをしているサポート選手がいると教えてもらい、今回は2021年末に#ヤエバオーRT走 と題し2,058kmを走ったシエルブルー鹿屋–白川選手にチャレンジのようすや、寄っていただいた丹波本社工場と周辺の感想を聞いてみたいと思います。
Q.チャレンジお疲れ様でした。先ずは簡単に白川選手の自己紹介をいただけないでしょうか?
みなさんこんにちは!
鹿児島県の鹿屋市を拠点に活動するシエルブルー鹿屋の白川幸希(しわかわこうき)です。
Jプロツアーに参戦し国内を遠征しながらレースを走っています。
岡山県倉敷市出身で白飯と温泉が好きです。
チーム本拠地の鹿屋市には全国でも有名な自転車強豪校「鹿屋体育大学」があり、我がチームも当大学の現役生やOBがほとんどです。
私は鹿屋体大の卒業生ではありませんが、2度受験し2度不合格になったので一応関係者です。(苦笑)
よろしくお願いします!
Q.2,000㎞以上を自転車で走ると聞くと壮大な挑戦に感じますがやろうと思った切っ掛けは何だったのでしょうか?
今年のオフシーズンは大学も卒業し卒業論文もなく自由に使える時間がありました。
そういった事情もあり、登山やボクシング、ゴルフの打ちっ放しなど今までした事がなかった事をやってみようと思いました。そうすることで自分の未知なる領域が解放されると思ったんです。その中の一つがRT走でした。RT走とは「リツイート走」のことで、あらかじめ自分で「1リツイートにつき◯◯km」「1いいねにつき◯◯km」走ると決め、Twitterの投稿に寄せられた「リツイート」の数と「いいね」の数で走行距離を決めるというものです。
僕の場合は「1リツイートにつき10km」「1いいねにつき1km」と設定しました。
「まぁ来ても300km位だろう」。。。そうして僕は、「2,058km」を走ることになりました。(笑)
Q.詳しくは白川選手のブログやTwitterを見てもらえばと思うのですが、ざっくりとした走行のルートを教えてください。
ルートは何も考えず行きたい場所にいきました。
熊本県の天草や長崎県など九州の西側を走ったことがなかったので、まずは錦江湾からひたすら海をなぞって薩摩川内市へ、そこから北上して温泉で有名な島原の雲仙岳、次は本土最西端の地神崎鼻公園と本土と繋がった道の最西端の地へ向かいました。
これで僕らの住む大隅半島にある本土最南端の佐多岬につぎ、日本の本土最果ての地の「南」と「西」は制覇!そこから東へ進み福岡へ進みました。
そして本州に上陸し古巣の広島、そこからしまなみ海道を通って四国は愛媛、実家が岡山県で瀬戸大橋(電車と車のみ渡れます)のすぐ近くなので、香川まで走ってから輪行で実家へ。
そして今回の旅仕様に選択したタイヤ-グラベルキングの故郷、隣県の兵庫県丹波市。
次は京都の天橋立、南下して奈良県。そして大阪府南港から遠征でもいつもお世話になっている「フェリーさんふらわあ」さんに乗り、鹿児島県志布志市の志布志港へ。(※志布志港は鹿児島県志布志市志布志町志布志にあります。)そして鹿屋でゴールといったルートでした。
当初は12月17日スタートの12月30日ゴールで計画を立てました。
Q.大まかな1日の流れなどを教えてもらえませんか?
毎日1日の半分をサドルの上で過ごしますから、
1日の流れは「宿をできるだけ早く出発し無事に宿にゴールする」という感じになります。
朝、早起きして朝食を済ませ出発。時間もないのでお昼はちょこちょこ食べながら走り、走って目的地に着いたら晩ご飯を食べて洗濯物を干して日課であるブログを更新して寝る。その繰り返しです。
この旅は朝のお布団峠(寝坊せず起床しお布団から出ること)が険しかった。(笑)
Q.1日何時間も走っておられると、どういう事を考えたり感じたりしているんですか?
この旅は最長で1日16時間でした。節約のため、なるべく知り合いのところにお泊まりさせてもらって旅をしました。
いつもお世話になっている旅館の皆さんや友達、元チームメイト、みんな久々に会うので「元気にしてるかなー?」とか「今どうしてるかなー?」とか考えていました
島原の雲仙と長崎の平戸はやむを得ず民宿を取ったのですが、電話で予約した時にどちらも優しそうな方で、会ったこともないのにその方のご家族の話をしたりしました。(笑)「どんな人かなー?」「どんなご飯が出てくるかなー?」そんな事を考えながら走っていたと思います。
そのほかの時間は何も考えずに走りそこでしか味わえない景色や空気、雰囲気を楽しみます。
やっぱり走ったことのない道、土地を走るのがとても楽しかったです。景色って、何も知らずに走った時とその場所を知って走るのとでは、感じられる雰囲気と印象が違います。
初めてだから見える景色もあり、その新鮮さを感じるのも旅の醍醐味の一つだと思います。今回の旅だと天草、雲仙、長崎の平戸などでは日本の果て感を感じました。
鹿児島の海もそうですが、海ってぼっけぇ広くって、ずーっと向こうには水平線が見えるんですね。地元の岡山県で見る海「瀬戸内海」は向こうに四国が見えるので、同じ海でも全く景色が違いました。
そしてグラベルキングの故郷兵庫県丹波市から北は雪景色。この旅の一番寒い地域に行く日にちょうど最強寒波が来たんですよね。僕が行った日から雪が積もって、「やっぱり僕持ってるな?」と思いました。(笑)
雪の中走ることなんてなかなか出来ないですから。
Q.今回の旅では寒さにも雪にも苦しめられたと聞きましたが何か対策をされていたのですか?
出発の日、12月17日は九州南部に寒波がやって来ると聞いていました。おまけにこの季節は基本北からの風なので北上する僕は向かい風の中走らなければならない。向かい風は少し冷えるので今できる一番暖かいウェアを選択。さらにレースや普段のトレーニングでも活躍している「NAQI」の最上級ホットオイル「コンペティション3」と、雨風から肌を守る「スタートオイル」の二層仕立てで体に塗り込み挑みました。ジャージ類は荷物になるのでなるべく着て走りました。凍結はもうなす術がないので凍結が怪しい地域は出発時間を遅らせ、少してもグリップを稼ぐためにタイヤの空気圧は低め(2.5bar)で走りました!
Q.グラベルキング700×32Cをチューブレス仕様にして走られたと聞きましたがどうでしたか?
最高でした。(即答。笑)
僕は普段の練習からグラベルキングでトレーニングをしています。
そのおかげでパンクする事なくトレーニングに励む事ができています。今回チョイスしたのはそんなノントラブルなタイヤがチューブレスになり、32cと太くなったタイヤでした。チューブレスだと中のチューブが無くなるのでリム打ちパンクのリスクがなく、空気圧を低くして走れます。空気圧を落とすとタイヤが柔らかくなり路面からの衝撃を吸収してくれます。「空気圧が低いと進まないのでは?」と思うかたもおられると思いますが、路面の凹凸の上を跳ねずに滑らかに転がるのでとても気持ちよく進みました。パンクに強い最強タイヤに快適性が備わってしまったのです。こうなってしまうともう最強です。(笑)グラベルキングはパンクする事なく、そして体へのダメージも最小限に抑えながらこの旅の最後まで導いてくれました。「『グラベルキング』という名前だから舗装路には向いていない」と思う方もおられるかもしれません。しかしながらロングライドやサイクリング、ゆるぽた、通勤通学などをする方の強い味方となってくれるお勧めしたいタイヤです。
Q.今回の旅の機材でタイヤ以外に拘ったポイントがあれば教えてください。
僕は大学時代にリュックを背負って通学をしていたのですが、それだと体がうまく使えずあまり好きではありませんでした。
なので、今回はリュックを使わず体を自由に使えるよう「OASTRICH」さんのご協力により、サドルバック、フレームバックを使用させていただきました。
「OASTRICT」さんのバック類は防水なので雨風雹雪、さまざまなコンディションでも荷物を濡らすことなく走ることができました。
また、同社からは普段は飛行機移動などで使うクッション性のある輪行バックをサポートしていただいていますが、今回は瀬戸大橋や宿へバイクを持ち込むためにコンパクトな輪行バックを準備していただきました。
これは畳むとボトルサイズになり、途中膝が痛くなって電車でワープした時にもとても役に立ちました。初めての輪行でしたが、思ったよりも簡単で無理せず遠くまで走りたい場所を走れるので、このような輪行ライドもいいなと思いました。
あとは夜も走ると思っていたのでライトは二刀流で夜行タスキも持っていきました。
Q.話は変わって、弊社工場にも訪問してもらいましたが実際にタイヤを作っている様子を見られた感想はどうでしたか?
タイヤって簡単にできるものだと思っていました、型に流し込んで機械でポチっで、完成っ!みたいな。(笑)でも実際見てみると予想と全く違いました。
ベースとなる下地を作るところからたくさんの職人さん達が一つ一つの工程で巧みに機械を操り次の工程の職人さんにパスしていく。
年始の駅伝競走みたいに職人さん達が一本のタイヤ(襷)を繋いでやっと完成(ゴール)する。
この一本のタイヤには何人もの職人さん達の魂がこもっていて、「このタイヤなら自分の命をのせて走れる」そう思いました。僕は最終走者。あとは僕が先頭でゴールに届けるだけですね!
あと、できたてのタイヤはあったかくてとてもいい匂いがしました!(笑)
Q.家に着いた時どんな感じでしたか?また次回もこのようなチャレンジがあれば応援したいと思いますが、行きたい場所などありますか?
まずフェリーを降りるとチームメイトが自転車で迎えに来てくれていてとても嬉しかったのと、帰ってきたなと実感が湧きました。
家に着いたときは速攻で自分の布団で寝たいと思いましたね、予定から一日遅れの12月31日の大晦日に帰ってきましたが年越しは夢の中でしました(笑)
このような旅はもうしばらくはいいかなと思っています。
でももしも次回するなら、もっとゆとりを持って計画を立ててゆっくり各地を楽しみながら走りたいです。今回はハードスケジュールすぎました。。。
なかなか行く機会がないので、行くとしたら関東や東北の方でしょうか、フェリーで大阪にワープして行ってみたいです。あと、もっとあったかい時期に行こうと思います。(笑)
ありがとうございました。
2022年シーズンのご活躍も楽しみにしています!
~白川選手プロフィール~
1997年5月15日生まれ。
幼稚園の年中~中学2年生まで競泳、中学?高校の6年間は陸上競技長距離。小さい頃から乗り物が大好きで、幼稚園では三輪車の帝王だった。自転車のレースに出始めたのは高校生の時。自転車部はなく、鹿屋体育大学の自転車部へ憧れ鹿屋体育大学を受験。2度目のお祈り(不合格)を食らった後は地元岡山県の環太平洋大学へ進学し、鹿屋勢への復讐を誓い片道40kmの道のりを泣きながら毎日通学した。
大学入学の年に広島のJプロツアーチーム「VICTOIRE広島」へ加入し、2021年シーズンに「シエルブルー鹿屋」へ移籍。
海外レースで活躍する選手を目指し、5年越しの鹿屋でトレーニングに励む。